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カウンセリングセッション

ここアメリカコロラド州、ボルダーには、トランスパーソナル心理学で有名なアメリカで唯一仏教系大学、Naropa(ナロパ) Universityがある。そしてその大学院にいる人の中から僕の通う学校にもインターンシップで4人のカウンセラーが常勤している。

 
 僕はその中の一人から毎週カウンセリングを受けている。日本でカウンセリングと聞くと、何か精神的に問題がある人が行く、みたいなイメージを持つ人も少なくないと思うけれど、こちらではそんなことはない。人はだれでも悩みを持つもの。そうしたときに、それを暖かい眼差しで聞いてくれる人がいると心強いものだ。プロのカウンセリングに聞いてもらう利点は、偏見なく客観的に話を聞いてもらえること。それに友人や家族などに話すのは言いにくかったり、照れくさかったりする悩みも打ち明けられる第三者であるということ。また自分を知る良い機会でもあるということなどがある。僕にとっては自分について知りながら、カウンセリングの勉強にもなる。

 僕は学校にいることの悩みを聞いてもらっている。学校ではインターナショナルの学生が僕一人だから、なかなか感じていることを理解してもらえない。語学の壁も高くそびえ立つ。それにパートタイムの学生でもあるため、先生や授業内容が変わるだけでもしんどいのに、その上みんなと違う新しいスケジュール、クラスメート達に慣れるまでにはかなりの葛藤が自分の中で生まれる。いつも気持ちの悪いプレッシャーを感じるのだ。

 また、元のクラスメート達とも会う機会が一週間に一回と少ないので接点も少なく、馴染んだ環境の中でいることもなくなった。そんな時、僕は自分の将来の目標に焦点を当て続ける。なんのためにここにいるのかをはっきりさせて、自分の意志を強く持つことに専念する。それでもその場での気遣いは相当なものなのです。そこで登場するのがカウンセラー。

 今日のセッションでは特に最近英語が詰まって、前のように口から出てこないことについて尋ねた。英語が単にむつかいしいから出てこないのではなく、なんらかの心理作用が働いてこうなっていることは確かだった。

 カウンセラーと悩みについてしばらくはなした後いきなり、「それじゃ、今から思ったことを日本語で話してみよう」と言われた。戸惑った。日本語がでてこない。英語からスイッチできない。考えを言葉にするプロセスが二つの言語では全く異なる。とっさに頭に浮かんだ言葉が「違う」の一言。その瞬間、パッと原因が分かった。二人の違った僕に出会っているような感じがあると気づいたのだ。

 一人は日本語を自由に扱う自分。もう一人は英語を日常で使う自分。 そのギャップの差に苦しんでいるのだ。このコラムに連載しているように自分のスタイルですらすらと日本語を扱うことのできる自分と、一方では、人前に立つと緊張して考えながら戸惑いながら話す学校での自分。自分はこんなんじゃない。もっと表現したいこと、話したいことや伝えたいことはたくさんある。しかし、それをしないで黙っている自分がいる。インスピレーションが頭に浮かび、それを言語化するというのが普通は自然に起こるが、その過程を途中で止めていたらフラストレーションだけが溜まってしまう。自分を自分として全く表現しきれない。自分の中で気だけを遣って溜めてしまうことになる。自分が自分ではないような感じ。そんな歪みが「喋ること」にでてきたのだろう。もっと自分をなんらかの形で発散させないとこの症状は変わらないと思う。

 僕の持つ緊張感をカウンセラーはこう言い換えてくれた。彼女はミュージックセラピーのプロでもあるため、楽器も弾くのだが、もしも私が楽器を1年半習っていて、それを10年キャリアがある大勢の前で演奏するとしたら、やっぱり緊張して縮み上がると思う、と。なるほど、ネイティブのスピーカー達は生まれてから英語を20年以上話す。僕は1年半ちょっと。この違いは大きい。そしてそういう場で学ばなければならないために、自分をネイティブの人たちの環境に馴染むように急かすことで、自分のペースが壊れてしまっている。

 このような過程を今日は体験した。言語が違うと、考える過程も変わるため、本当に二人の自分がいるような感じだ。そのギャップにどう対処していくか。まだ課題は残るけれど、とりあえずいくらかスッキリした。英語学校で英語を習っている生徒はこんな風には感じない。第二カ国語を学ぶ同士が側にいたり、馴染んだ自分のペースで学べたら僕もこんなふうなジレンマ状態のなかにはいないと思う。事実、僕が語学学校にいたときにはこんなことは起こらなかった。今いる環境が、こんな体験をさせているのだろう。僕のカウンセラーはこうも言っていた。この環境にいることの良い点も感じてそれに感謝もすべきよ、と。今は素直に喜んで感謝出来る気分ではないけれど、このジレンマがきっと学びに変わり、この経験から、特に他の人の気持ちをより理解できると感じるようになれた、そう言える未来が早く来て欲しいものだ。
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2005.02.03 15:06 | ココロ | トラックバック(0) | コメント(0) |

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